マイルス・デイヴィスがマイケル・ジャクソンの「ヒューマン・ネイチャー」をカバーしたことは、大きな衝撃を与えた。なぜ、突然、ポップスのスーパースターのヒット曲をカバーしたのか。それまでマイルスはポップスの最新ヒット曲をレパートリーにすることはなかった。「枯葉」や「マイ・ファニー・バレンタイン」があるではないか――という意見もある。だが、すでにスタンダード・ソングとして知られていた曲だ。
マイケルの場合は訳が違う。全米売上3000万枚を突破、「史上最も売れたアルバム」としてギネス世界記録に認定されたアルバム『スリラー』収録曲なのだ。その数年後にマイルスはカバーした。もう一曲、同時期のシンディ・ローパーの大ヒット曲「タイム・アフター・タイム」もカバーし、この2曲はその後のマイルスのライブで重要なレパートリーになった。そこには、ジャズの歴史を開拓してきた史上最大のカリスマの印象とは異なる姿があった。
「ヒューマン・ネイチャー」の録音を含むマイルスの未発表発掘作品の解説に、ジャーナリストのグレッグ・テイトが「なぜそんなに音楽が変化するのか」と、マイルスに質問したエピソードが掲載されている。マイルスの答えはこうだ。「あなたが音楽を変えるんじゃない、音楽があなたを変えるんだ」「評論家がやれということを演奏するんじゃない、身体がプレイしろということを演奏する」 実に、マイルスらしい返答である。しかし、この説明で満足する人は少ないだろう。本意は他にもあると考える。
マイルスはマイケル・ジャクソンやプリンスの音楽が好きでよく聴いていた。特に、プリンスのファンクのリズムやビートは、マイルスに大きな影響を与えた。そのことは80年代のマイルスの音楽を聴けば明らかである。また、『スリラー』をはじめマイケルの大ヒット作のプロデューサーは、朋友クインシー・ジョーンズである。だからといって、世界的なヒット曲をカバーしてポップに躍動するマイルスはイメージしにくいのだ。
その本意を探っていると、これではないかと思わせるものを見つけることができた。本『Miles Davis:The Complete Illustrated History』にこんな記述がある。マイルスの史上最も有名なジャズ・アルバム『カインド・オブ・ブルー』に続いて、『スケッチ・オブ・スペイン』が世界的な反響を呼んだ現象について書かれた箇所だ。
「1960年当時、黒人がこのような音楽的な成功を収めるのは、驚くべきことであった。この成功は、25年後のマイケル・ジャクソンの衝撃と比較して初めて理解される。マイルスは世界中の美女から追いかけられるセックスシンボルになったのだ」 また、同書は、アメリカではマイケルを「キング・オブ・ポップ」と呼ぶことに抵抗がある人が多いこと、「キング・オブ・ジャズ」はポール・ホワイトマンでマイルスではないこと、それは彼らが黒人だからに他ならないと指摘する。マイルスが業績、カリスマ性、すべてにおいて「キング・オブ・ジャズ」であることは、誰の目にも疑いようがない事実である。
こうした記述は、マイルスが黒人社会のみならず、米国音楽界を代表する真のヒーローであったことに改めて思いを至らせてくれる。マイルスの「ヒューマン・ネイチャー」のカバーは、黒人のヒーローであるマイルスが、同じく新世代の黒人のヒーローであるマイケルへ送った、親愛なる気持ちの表明なのであろう。マイルスは、マイケルの成功が、クインシーの成功が、誇らしく、うれしくてしようがなかったのだろう。