Jazz Messengersの表記

 バンドを去来したメンバーをはじめ、短期間の共演やゲスト参加を合計すると、200人を超えるというアート・ブレイキージャズ・メッセンジャーズ。35年間にわたって、ハードバップ・シーンを牽引したジャズ・メッセンジャーズだが、当初は、グループ名が固定化し有名になるまで時間がかかった。
 軌道に乗るまでの、バンド名の変遷を辿ってみよう。


1947.12.22
*「Art Blakey and his Messengers」という名義でブルーノートに録音

2曲入りの10インチ盤を2枚録音した。「Art Blakey's Messengers」という表記も後の再発で使われる
同年、「Seventeen Messengers」というビッグバンドを率いる。活動は散発的だった

1955.11.23
*『The Jazz Messengers at The Cafe Bohemia』(Blue Note)録音
公式に「Jazz Messengers」という名前が使われた最初の作品。リーダー名の表記はない。ブレイキーが以前使ったMessengersにJazzを加える提案をしたのはホレス・シルヴァー。実質上、当初はブレイキーとシルヴァーの双頭バンドだった
ドナルド・バード(tp)、ハンク・モブレー(ts)、ホレス・シルヴァー(p)、ダグ・ワトキンス(b)、アート・ブレイキー(ds)

1956.04.06, 05.04
*『The Jazz Messengers』(Columbia)録音
最初のスタジオ録音。56年5月4日のセッションは、シルヴァー参加の最後の録音。シルヴァーはモブレーやワトキンスを連れて独立、ホレス・シルヴァークインテットを結成する。ブレイキーはジャズ・メッセンジャーズを再編成

1956.07
*『Horace Silver and The Jazz Messengers』(Blue Note)発売
2年前の作品『Horace Silver Quintet Volume 3』『同 Volume 4』を合体、タイトルをこれに変更して出した。紛らわしいよね

1956.12.12,12.13
*『Hard Bop/The Jazz Messengers』(Columbia)録音
ジャッキー・マクリーン(as)加入。これ以降の数年間、ビル・ハードマン(tp)、サム・ドッケリー(p)、スパンキー・デブレスト(b)が参加。サックス以外はメンバーが地味な時期だ

1957.01.14,02.11
*『Ritual:The Jazz Messengers Featuring Art Blakey』(Pacific Jazz)録音
タイトルにFeaturingでArt Blakeyの名前が入る

1957.03.13
*『Selections From Lerner and Loewe's/Art Blakey's Jazz Messengers』(Vik)録音
「Art Blakey's Jazz Messengers」表記でバンド名がジャケットに入るが、裏ジャケなどは「Jazz Messengers」表記のみ。マクリーンに代わって、ジョニー・グリフィン(ds)加入

1957.04.08
*『A Night in Tunisia/Art Blakey's Jazz Messengers』(Vik)録音
「Art Blakey's Jazz Messengers」の表記がジャケット、裏ジャケ、センター・レーベルにも入る

1957.05.13
*『Cu-Bop/Art Blakey and his Jazz Messengers』(Jubilee)録音
「Art Blakey and his Jazz Messengers」表記。hisが入る。裏ジャケとセンター・レーベルは「Art Blakey's Jazz Messengers」だった

1957.10.09,10.11
*『Hard Drive/Art Blakey:The Jazz Messengers』(Bethlehem)録音
こんな表記もあった。コロン入り

1958.10.30
*『Moanin'/Art Blakey and The Jazz Messengers』(Blue Note)録音
バンド・メンバーを総入れ替え。このアルバムがヒットして、怒涛の快進撃が始まる。これ以降、「Art Blakey and The Jazz Messengers」という表記が定着することになる。andが&になったり、日本の場合はTheが入らなかったりする
リー・モーガン(tp)、ベニー・ゴルソン(ts)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(b)、アート・ブレイキー(ds)

 

 以上が、Art Blakey and The Jazz Messengersというグループ名が定着するまでの変遷である。日本語表記では、私もTheを省く。ザ・をいつも入れるのはわずらわしいからね。
 こうして、1955年のカフェ・ボヘミアで誕生したJazz Messengersは、紆余曲折を経て、3年後の『モーニン』が人気を博してようやくバンド名が定着した。『モーニン』の成功に貢献したのはベニー・ゴルソンだった。ゴルソンはジャズ・メッセンジャーズの最大の功労者である。その件はゴルソンの項目(「Messengers最大の功績者」)で紹介する。

 

『Moanin'/Art Blakey and The Jazz Messengers