ブレイキーと西アフリカ

 自分はどこからやって来たのか。どういう組織や制度の中で育ったのか。それを知ることで本当の自分と向かい合える。祖父と曾祖父がアフリカ人であるアート・ブレイキーは、自分のルーツや宗教を知るために西アフリカへ旅立った。一時帰国をはさんで、1948年から18か月に及ぶ長旅だ。滞在中、イスラム教を学び、キリスト教から改宗して、Abdullah Ibn Buhainaというイスラム名を授かっている。それで、帰国後、短縮して“Bu”というニックネームが付けられた。イスラム教に改宗するアフリカ系アメリカ人のミュージシャンは多かった。人種差別から身を守るためでもあったようだ。

 ところが、奇妙なことに、旅の主な目的がルーツと宗教だったからか、音楽目的なのでは?と聞かれると、ブレイキーは否定している。多くの人がそのことを書いているので、習慣のようになっていたのだろう。しかし、西アフリカから帰国後、ドラミングが急成長して力強く鮮明なスタイルになり、ドラムの側面を叩いたり、タムタムに肘をついて音程を変えたりするなど、アフリカ的な演奏法を取り入れるようになった。アフリカからの影響は誰の目にも明かだったのである。だから、否定したのは、あまのじゃく的な性格のせいではないかと思うが、どうだろうか。あるいは、ジャズはアメリカ独自の音楽であるのに、ジャズとアフリカを結びつけて考える人が多すぎることにうんざりしていたので、それも関係があるかもしれない。
 
 そうは言いながらも、ブレイキーはアフリカのリズムについて、語ることが少なくなかったようだ。ナイジェリアのイジョー族の集落に住んでいたとき、その日の活動報告を打楽器の演奏で行っていたというエピソードが非常に興味深い。おそらく、ブレイキーはその時、打楽器が言語であることを皮膚感覚で知り、トーキング・ドラム(あるいは、ドラム・ランゲージ)に覚醒したのだと思われる。どこで読んだかおぼえていないのだが、「ブレイキーのドラミングはホーンで歌っているようだった」と、ベニー・ゴルソンが語った記事があった。ドラムの演奏は、すべて何かしらの意味やメッセージがあるというドラム・ランゲージと考えれば、ブレイキーのドラムが歌っているように聞こえるのもうなづけるのである。

 

ヨルバ族の太鼓奏者 by wikipedia