LPやCDを普及させたのはマイルス

 音楽の主役は、言うまでもなく、アーティスト。ジャズの世界では、マイルス・デイヴィスの人気と影響力が圧倒的に飛び抜けていた。そのことを物語る大きな出来事は、マイルスとメディア(ディスク)の関係である。マイルスが新しいメディアを普及させる。そういう言われ方をよく耳にしたものだ。代表的な例が、ジャズ分野において、LPを隅に追いやり、CD時代を到来させたのはマイルスという話。

 CDが世に登場したのは、1984年のことだ。その年、日本で発売されたCDはわずかなものだった。ウェザー・リポートの新作『ドミノ・セオリー』発表のタイミングで、旧作がCD化される。目立ったのはそれくらいで、マイルスはなし。
 当初、ジャズ・ファンにはCDの音質を嫌う人が多かった。デジタルの人工的な音質がなじめないし、ジャズには合わない。とても普及なんてするとは思えなかった。
 
 そんな状況に一石を投じたのは、やはり、マイルスなのだ。
 翌85年、新作『ユア・アンダー・アレスト』と共に『アガルタ』『パンゲア』がCD化される。プレスティッジのマラソン・セッションも出た。これでジャズ・ファンはCDを無視しにくい状況になったように思うが、それでもLPはまだまだ強し。
 形勢が逆転してしまったのが、1986年である。この年、コロンビア・レーベルのマイルスが20枚も怒濤のごとき勢いでCD化された。それにより、オセロゲームで白黒が一気に入れ替わるように、CD時代が到来したのである。
 
 思えば、ジャズのLP(アナログ・レコード)を普及させたのも、マイルスだった。1957年発売の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』から、59年の『カインド・オブ・ブルー』へ至る新作リリースの流れが、ジャズLPの普及を牽引したのは間違いない。何しろメジャー・レーベルからのリリースであり、セールスの規模が違う。
 今の時代のハイレゾやストリーミングなども、マイルスが生きていれば、普及のスピードがずいぶん違ったものになっていただろうね。

 

1986年のマイルス by wikipedia