ファンキーはどこからやって来た? ファンキーといえば、ホレス・シルヴァーである。あの飛び跳ねるような瞬発的な演奏は、一体、どこからやって来たのだろうか。
答えは、意外に簡単に見つかった。
ホレス・シルヴァーの自伝『Let's Get to the Nitty Gritty:The Autobiography of Horace Silver by Horace Silver』の幼年・少年時代の章に答えがあった。
ホレス・シルヴァーの両親は、ジョン・タヴァレス・シルヴァーとガートルード・シルヴァー。父親はカーボベルデ共和国からの移民で、母はコネティカット生まれのアイルランド系アフリカ人だった。コネティカットのノーウォークには、カーボベルデ人のコミュニティがあった。
カーボベルデは西アフリカ沖の島国。15世紀から1975年までポルトガル領で、かつて、アメリカ大陸への奴隷貿易の中継拠点として栄えた。そのため、ポルトガルとアフリカの文化や民族の混合が進んだ。音楽においてもそれが顕著で、ポルトガルとアフリカの音楽がミックスされた音楽が生まれることになる。
自伝にこんな記述がある。
「父はカーボベルデの民族音楽が好きで、バイオリン、ギター、マンドリンを耳コピで演奏した。時々、土曜の夜には、キッチンでダンスパーティーを開いてくれた。父やカーボベルデ人の友人のサントス、ペリーらが演奏を担当し、カーボベルデの古い歌を何でも演奏して歌ってくれた」
それで、カーボベルデの音楽を調べてみた。
これが、ビンゴ!
ホレスのファンキー・ジャズのルーツは、ここにあったとうなずけるような音楽がいくつも見つかったのだ。
カーボベルデの音楽は、モルナ(Morna)が国民的な歌謡曲で、最も人気があるそうだ。モルナに素速いリズムが加わり、ダンサブルになったのがコラデイラ(Coladeira)。このコラデイラが速く躍動するリズムを持っており、上へ飛び跳ねるようなノリやアクセントやフレーズの断片が特徴的なのだ。
ファンキーはこれですね。
父親やカーボベルデの友人達が演奏する音楽で育ったホレスが、そこからファンキーを生み出したことを想像するのは容易いのだ。たとえば、「Beijo Cu Jetu/Cabo Verde Show」「Sodade/Nancy Vieira」などをyoutubeで聴いてください。もうホレス・シルヴァーの音楽なんだよね。父親がカーボベルデでおぼえた音楽はもっと昔のものだろうが、モルナからコラデイラへ進化を遂げたのは1930年代なのだ。
ホレスの自伝には、ファンキーに関してこんな面白い記述もある。
「ジャズの用語で“ファンキー”というのは、ブルージーとかダウントゥアースという意味だ。私の音楽は、ジャズ評論家やファンから“ファンキー”と呼ばれる。そういえば、私がファンキーだと書いてあるダウンビート誌の記事を父に見せたことがある。父はそれを読んで、とても喜んでくれた。それでこう言ったんだ、“おまえがファンキーだって、どういうことだ? 毎日風呂に入っているじゃないか”」(笑)
(Funkyには「悪臭がする」「汗臭い」などの意味もある)」
ホレス・シルヴァーの自伝