「うまい」には二通りの意味がある

 「うまい」という言葉は音楽に対する意見を述べるときによく使われる。だが、この言葉が意味するものは実はあいまいである。通常、この言葉が使われる場合は、歌や演奏のテクニックがあることを示すだろう。具体的には、歌であれば、豊かな声量であったり、数オクターブ出る広い音域であったり、演奏であれば、速弾きであったり、ハイノートの連発であったりする。
 しかし、「うまい」には、表現のうまさや思いを伝えるうまさもそこに含まれるのだ。たとえば、大きくて力強い声を出して、さらに高音も出る歌唱を耳にすれば、決まったように、うまいねぇと口にする。それに対して、声を抑え、タメをつくり、微妙なニュアンスを表現しながら同じようなトーンで歌いきっても、なかなか、うまいねぇとは言ってもらえない。わかりやすいすごさしか注目されないのだろうか。
 だから、「うまい」という言葉の意味には、テクニックのうまさを指す場合、そこに表現力のうまさが加わったテクニック+表現力を指す場合、この二通りがあるのだ。テクニックがいくらすばらしくても、音楽的な魅力がなければ意味がない。少なくとも私はそうだ。テクニックばかり見せつけられても、曲芸や奇術を見に来たんじゃないぞと言いたくなる。
 ただ、国や文化の違いでテクニックが非常に尊重されることもあるようだ。キューバ出身のピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバは米国進出後、意気消沈する。キューバでは高い技術力を絶賛されたものの、米国ではテクニックだけではほめてくれない。表現したいもの、伝えたいものが不明な演奏には価値がない。そうジャズ・ファンから批判されて、悩んでしまったのだ。

 

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米国で活躍するキューバのジャズ・ピアニスト、ゴンサロ・ルバルカバ