ベースの邪魔をするな~ビバップの誕生

 ホレス・シルヴァーケニー・クラークに「ビバップ・スタイルはどのようにして生まれたのですか?」と訊ねた。クラークはピッツバーグ生まれで、ベース奏者と練習することが多かった。当時、ベース奏者から、「ベースの邪魔をするな、とよく言われて、自分なりのドラム奏法を考えるようになった」と、クラークは答えた。それが、後にビバップと呼ばれるドラム奏法になったのだ。
 
 やがて、ケニー・クラークはニューヨークへ出て、ハーレムのミントンズ・プレイハウスで演奏するようになる。クラークのドラムは評判がよかった。ビッグ・バンドから声がかかっても褒められた。ミントンズは、新しいジャズの実験場のようになって行き、セロニアス・モンクチャーリー・クリスチャンなどに次いで、ディジー・ガレスピーチャーリー・パーカーらもセッションに参加するようになる。そう、クラークやモンクが先に始めたのである。ビバップという言葉は、ミントンズの共同経営者であるテディ・ヒルが使い出した。それを当時学生だったジェリー・ニューマンがジャーナリストに広めた。ジェリーはミントンズの私家録音で名を知られる。戦前まではミントンズ・プレイハウスでしか、ビバップというジャズ用語は使われなかったそうだ。
 
 「ベースの邪魔をするな」という言葉は、ドラムをドコスコ叩いてベースの音を消すなという意味だが、特にバスドラムの音が邪魔をした。ビッグ・バンドのドラムのようにドンドンとバスドラを強打すれば、小編成のバンドでは演奏を台無しにしてしまう。それでクラークはバスドラをソフトに演奏するようになり、さらにキックする棒の先が厚めのフェルト状のドラムペダルを使っている。オスカー・ペティフォードと共演した時、バスドラを使わずにシンバルだけで練習をしていたら、それでやってくれと言われたこともあった。右手はライド・シンバルでアクセントを付けながらレガートを刻み、ハイハットでもリズムキープする。そうすると、左手が自由になる。その左手をどう使うか。ミントンズにはドラマーたちがクラークの左手を見に来た。
 このようにしてビバップのリズムは誕生して、洗練されていったわけである。つまり、ベースの邪魔をするなとは、言い換えれば、お互い共演者の邪魔をするような演奏をしてはいけないということなのだ。小編成のグループでは、楽器同士の会話がセッションであり、会話や協同作業のできない人は、お呼びではないのである。

 

ケニー・クラーク by drummerworld.com