ビートルズのカバー

 ABC Lounge Radioをよくかけているので、「この<two of us>誰?」「わからん」そんな会話をよくする。ネットラジオなんだけど、ビートルズのカバーがかかることが多い。
 ビートルズのカバーといえば、ジャズではあまりいいのがない。1960年代からカバーされてはいるのだが、精彩を欠くという印象だ。なぜ、なのか。理由はいくつか考えられるけど、一番の要因は、演奏スタイルを無理にジャズにしようとするからだろう。もともと、ビートルズの音楽は8ビートでジャズは4ビート、ビートルズはタテノリでジャズのスイングはヨコ揺れ。8を4へ、タテのものをヨコへ。アクセントの位置も異なる。強引に変えてもうまくいかないし、奇抜さに向かってしまうこともある。無理があるんですよね。
 ビートルズのジャズ・カバーは難しい。そう思っていたので、ABC Lounge Radioでよく耳にするビートルズのカバーを聴いて、上に書いたように思うようになったのだ。ラジオで聴いていいと思ったビートルズのカバーは、編曲に工夫をこらすことはせず、ストレートに原曲を歌っている。それがいいのである。
 ストレートといっても、カラオケで歌うようなチープな歌い方ではない。情感を込めて、自分の素の声で、自分の歌い方で、シンプルに歌っているのだ。特にいいと思ったのは、カントリー系のジュディ・コリンズ、Imaginary Futureのジェシー・エプスタインなどだ。彼らの歌唱は肩の力を抜いて、自分の歌い方で真摯に誠実にビートルズの楽曲に向かい合っている。
 自分の固有の声と歌い方と楽曲へのリスペクト。これが一番大事。
 考えて見れば、このことはどんなスタイルの音楽にも言えることだった。出来上がったものが、ジャズと呼べるかどうかは別の問題としてね。

 

ビートルズの彫像 by wikipedia

名盤はやはり名盤

 どのジャズ・アルバムを聴けばいいのかわからない。それの指針になるのが、「名盤」である。しかし、名盤という言葉はあまり見かけなくなった。マストアイテム、必須盤などの言い方があるのかもしれないが、インターネットでは特に通販関係で過剰に賛辞する表現がうんざりするほど溢れている。
 ジャズの世界には、「世界文学名作全集」や「ナツイチ」のような、公認された名盤のリストのようなものが存在するわけではない。個人単位での推薦盤や名盤選が紹介されることはあっても、やはり誰もが認めるような形でオーソライズされた名盤リストがあってほしいものだ。
 昔はそれなりに名盤リストはあった。評論家が本でアーティスト別やスタイル別の代表作を紹介したり、日本でも海外でも雑誌の企画や別冊で名盤選が特集されることがよくあった。本でも雑誌の企画でも数が多かった時代である。そんな中から、登場する頻度の高い作品が有名盤となり、名盤として認知されるようになったのだ。逆に、権威主義的にも受け取られて反発を買うこともあった。
 僕はといえば、例にもれず、片っ端から本や雑誌で紹介された有名盤や名盤を聴いた。5、6冊参考にすれば、数人以上が取りあげている有名な作品のリストが出来上がるものだ。数年経ってから、少しずつ、自分ならどれを代表作とするか、そういう意識で聴くようになった。名盤というものを知るには名盤を聴くだけではだめだ。平凡な作品や駄作も聴いて初めて、名盤の名盤たる理由を実感できる。だから、結局、たくさん聴くことになるのであった。
 その結果わかったこと、名盤とされるものは、やはり、出来がいい。聴けば聴くほど、知れば知るほど、そのことを、つくづく実感させられるのだった。『ジャズ・ジャイアンツこれが決定盤』(スイングジャーナル刊)、『ジャズ・レコード・ブック』(粟村政昭著)、この二冊は特に指針となった本だ。
 文学や映画やクラシック音楽は、今でも、世界的に公認の名盤リストがあるように思う。ジャズもそうなってほしいものだ。こう思うのも、ジャズの名盤への関心が薄れていくのはさびしいからである。

 ジャズ・ファンはとかく、名盤というものを語りたがらない。あまり人が注目しないジャズメンや作品などを語りたがる性格の持ち主だ。人が注目しないところを語ることで、自己をアピールするのが好きなのだ。そうではなく、名盤というものは、ジャズに詳しい人、愛情のある人に良さが語り継がれるべきである。

 

 

『ジャズ・ジャイアンツこれが決定盤』

 

 

 

LPやCDを普及させたのはマイルス

 音楽の主役は、言うまでもなく、アーティスト。ジャズの世界では、マイルス・デイヴィスの人気と影響力が圧倒的に飛び抜けていた。そのことを物語る大きな出来事は、マイルスとメディア(ディスク)の関係である。マイルスが新しいメディアを普及させる。そういう言われ方をよく耳にしたものだ。代表的な例が、ジャズ分野において、LPを隅に追いやり、CD時代を到来させたのはマイルスという話。

 CDが世に登場したのは、1984年のことだ。その年、日本で発売されたCDはわずかなものだった。ウェザー・リポートの新作『ドミノ・セオリー』発表のタイミングで、旧作がCD化される。目立ったのはそれくらいで、マイルスはなし。
 当初、ジャズ・ファンにはCDの音質を嫌う人が多かった。デジタルの人工的な音質がなじめないし、ジャズには合わない。とても普及なんてするとは思えなかった。
 
 そんな状況に一石を投じたのは、やはり、マイルスなのだ。
 翌85年、新作『ユア・アンダー・アレスト』と共に『アガルタ』『パンゲア』がCD化される。プレスティッジのマラソン・セッションも出た。これでジャズ・ファンはCDを無視しにくい状況になったように思うが、それでもLPはまだまだ強し。
 形勢が逆転してしまったのが、1986年である。この年、コロンビア・レーベルのマイルスが20枚も怒濤のごとき勢いでCD化された。それにより、オセロゲームで白黒が一気に入れ替わるように、CD時代が到来したのである。
 
 思えば、ジャズのLP(アナログ・レコード)を普及させたのも、マイルスだった。1957年発売の『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』から、59年の『カインド・オブ・ブルー』へ至る新作リリースの流れが、ジャズLPの普及を牽引したのは間違いない。何しろメジャー・レーベルからのリリースであり、セールスの規模が違う。
 今の時代のハイレゾやストリーミングなども、マイルスが生きていれば、普及のスピードがずいぶん違ったものになっていただろうね。

 

1986年のマイルス by wikipedia

ヒットチャートはアテにならない

 これ聴いていないなあ、知らないなあ。昔のヒットチャートを眺めていると、首を傾げることがある。ジャズではさすがにそれはないと思うが、ポピュラー・チャートでは、たとえ一位になった曲やアルバムやアーティストでも、知らないことが少なくない。
 そこで、こんな疑問が起こる。
 一位になった音楽なら、興味がなくとも、どこかで耳にする機会はないのだろうか。
 答えは、知らなくても別にふしぎなことではないのである。一位になっても、一度人気が落ちれば、あまり話題にならなくなってしまうことが多いからだ。ヒットというものはふしぎなもので、その時代、そのタイミングでなければ話題にならないような性質を持っている。流行歌とはよくいったものだ。
 だから、ラジオでいつまでも流され続けるわけでもないし、レコード(CD)で何度も再発されるわけでもないし、サブスクで再生回数が増えるわけでもないのだ。
 ジャズではそれとまったく逆の現象が起こる。ジャズの場合、元々は、数人のスタッフしかいないようなマイナー・レーベルが制作したレコードであっても、それが名作であれば、毎年売れ続ける。セールスの規模は大きくなくても、毎年売れ続ける。そうなると、累積枚数がすごいものになっていくのだ。もちろん、メジャー・レーベルがつくった名作も数多くあり、制作会社がマイナー、メジャーにかかわらず、半世紀以上が過ぎても名作は変わることなく売れ続けている。
 これはジャズという音楽が持つ性質のひとつだ。

 

ナット・キング・コールの『Love is the thing』は、Billboard Magazine 1957年5月27日号で第一位になった。このアルバムは今も売れ続けている。これは例外のひとつか。

即興について(3)クリシェ

 ジャズの即興演奏について、現代音楽の高名な作曲家シュトックハウゼンが、「ジャズの即興はクリシェに基づいている」と批判して物議をかもしたことがある。クリシェは常套句や使い古された決まり文句のことだ。この発言を見た時、痛いところを突くものだと思ったものだ。だが、何か取り違えがあるような気もした。
 シュトックハウゼンは、おそらく、ジャズの即興演奏は即興でする作曲のことだと思っているのだろう。そういう説明をするジャズ・ミュージシャンがいることはいるし、即興演奏は部分的には作曲でもあるだろう。
 しかし、ジャズのアドリブと作曲が違うものであることは、聴けば明白だ。何度も書き直しながら完成度の高いものを作り上げていく作曲とジャズの即興演奏が同じものであるはずがない。じっさい、ジャズの即興演奏には、ストック・フレーズや個性的な手癖がくり返し使われるし、音階練習のようなフレーズだってよく使われる。ストックした大量のフレーズを複雑に組み合わせながら即興が進められていくわけだが、その組み合わせや構築にも優れた才能やセンス、人並みはずれた音の記憶力、そして最も大事であるひらめきが必要とされる。
 大事なことは方法ではなく、結果。同じ方法で即興演奏をしても、結果はピンからキリまである。不思議なことに、たとえば、スタン・ゲッツの即興演奏は何度聴いても飽きることがないし、同じような演奏をしているとも思えない。ゲッツらしいフレーズが出てくることはあっても、私の耳がよくないのかもしれないが、また同じ演奏をしていると思うことがない。同じテナー・サックス奏者でも、少し聴けばもう続きはいらないと思ってしまうこともあるし、聴いたことがあるような演奏をしているからつまらなく感じてしまうこともある。そういう演奏と出会うことも少なくない。
 これは楽器が演奏できなくても、誰でもわかることなのだ。そこは面白いものです。長年、ジャズ・ファンを続けている人ほど瞬時に判断できるだろうが、でも経験や知識はあまり関係ないように思える。聴けば誰でもわかるところが、音楽の怖いところだ。

 

シュトックハウゼン by wikipedia

「ホテル・カリフォルニア」のギター・ソロ

 ジャズとロックは、異なるところがいくつもあるが、最もわかりやすい相違点はソロだろう。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」について、興味深いエピソードがある。ロック史上最高ともいわれるギター・ソロが入っている曲だ。
 同曲をレコーディングする時の話。ギター・ソロはドン・フェルダージョー・ウォルシュが演奏した。ソロを主導したのはこの曲を作曲したフェルダー。ところが、ドン・ヘンリーからダメ出しが入った。ヘンリーはドラムを叩きながらこの曲ではリード・ボーカルを担当する。あの妙なるハスキー・ボイスの持ち主であり、同曲の作詞者でもある。
 ドン・ヘンリーのクレームはこうだ。「フェルダー、それ違うだろ」「えっ?何が」「デモテープと同じ演奏をしてほしい」 ヘンリーはフェルダーがつくったデモテープのギター・ソロがいたく気に入っていたのだ。デモをつくったのは一年も前のことなのでおぼえていない。困惑したフェルダーは自宅に電話して、デモテープを再生してもらい、レコーディングに臨んだという。
 今ならライブ動画が簡単に見られる。イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のライブを何種類も確認してみると、見事なまでにギター・ソロは、オリジナルとほぼ同じであった。こんな話もある。彼らはギター・ソロを即興で変えたい時もあるようだが、違うソロにすると、今度は観客がクレームを言う。「レコードと違うじゃないか!」
 面白いことに、ジャズはこれと真逆なんだよね。ジャズのソロは即興でおこなう。それがジャズだ。似たようなソロを何度もおこなったり、誰かのソロを無意識でも拝借したりすると、ブーイングが起こるというか批判されるものだ。「レコードと同じじゃないか!」 

 というか、ジャズ・ミュージシャン自身も同じソロをするのを嫌がるのです。リハーサルを嫌うのもそのせいだろう。ライブのファーストセットとセカンドセットのソロも違うものだ。
 しかし、「ホテル・カリフォルニア」のギター・ソロ、あの完成された演奏を何度も聴きたくなるのも事実である。ロックの場合、ソロは主旋律に近い存在で、歌のないもう一つの主旋律なのかもしれない。

 

Hotel California/The Eagles

 

ジャズ・ファン気質

 マウントフジ・ジャズ・フェスティバルに英国のヒップホップ・グループ、US3が出演した時の話。演奏が始まり、しばらくすると関係者席に一人のおやじがすっとんで来た。「おい、これはなんだ! ジャズじゃないだろ! ジャズじゃないバンドを出すなよ!」 怒号が鳴り響いた。関係者は対応に困り、なだめようとするも、怒りはしばらく収まりそうもなかった。関係者席は広い野外会場の一番後方にある。ステージから離れていたので、怒鳴り声は近くにいた僕の席でも聞こえたのだ。1994年の出来事だ。
 この時の思い出が鮮烈に残っている。これがジャズ・ファンなんだよなあ。このおやじを頭が固く心が狭いジャズ・ファンとお思いでしょうか。実は僕も若い頃はそういうふうに考えることがあったが、後からそうではないことに気づいた。ひとつのジャンルなり、スタイルなり、ある傾向を持つ音楽なりを深く追求していけば、自然とそうなっていくものなのだ。これは他のジャンルの音楽でも絵画などでも同じようなものだろう。
 いや、あれこれ幅広く音楽を楽しめばいいじゃないか。新しいもの今流行っているものをあれこれ楽しみたい。それもまっとうな意見ではあるけれど、ひとつのものを深く追求していけば、他のものに時間を費やす時間などあまりないのである。そして、深く追求すればするほど、その傾向のものがさらに好きになっていくものなのだ。
 そうしたジャズ・ファンの中でも、音楽そのものとは直接関係ないような細部にまでこだわるのはいきすぎだとは思うが、いずれにしても、深く掘って行く人達は、幅広く楽しむ人達よりも、その傾向の音楽を数多く聴いているのは事実。それだけ造詣が深く、愛情も深いのである。

 

マウントフジ・ジャズ・フェスティバル by wikipedia